子曰く、パクリ・完コピ問題なし

またまた論語です。かつて私は孔子様のこの言葉に、非常に救われる思いをしました。何を言われたかというと、「述べて作らず、信じて古を好む」です。

意味するところは、「私は古(いにしえ)の聖人の言われことを伝えるのみで創作はしない、古の聖人を信じて、古典を大事にしている」、要するに個性、独自性なぞはまやかしで、パクリ・完コピオッケー問題なしと言われているのです。(解釈に少し無理があります・・)

そういえば10年以上前のゆとり教育時代、文科省は小中学校に対して、子供が自ら考える自主性、独自性を育成せよと指導しました。なので先生方は子供の個性を育てるため、「自由に自分の考えを述べよ」という無茶な宿題を出していました。結果はというと、個性どころか全く独自性のない、非常に没個性的な作文が多くなったと、某先生に聞きました。

学ぶとはマネぶといいます。これから学習し基本を身に付け、成長する子供に対して、独自性を出せという、文科省の見識の無さに呆れんばかりです。子供には、まず古典など良書を素読し、丸暗記して優れた言葉を徹底的に真似させることから始めるべきです。

なのでそんなことは百も承知の孔子様は、まず優れた聖人の生き方言葉を徹底的に学び、完コピせよ、そうするといやが上にも独自性がにじみ出てくるという、人が成長するプロセスを喝破したのです。

救われます。このメルマガも、本や新聞、ネットなどからちょいちょい引用していますが、孔子様の教えを守っているためといえます。(無理やりですが・・)しかしながら引用元はしっかりお示しします。

今回もご購読いただき誠に有難うございました。次回も是非ご期待ください。  

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