あのどうしょうもなかった同級生が古典の素読を続けた結果は

先日地元守口で、小中の同級生にバッタリ出会いました。どうしているのかと聞くと、家業の電器店(パナショップ)を継いで、店を3店舗に増やし経営をバリバリしている由、あまりに颯爽としているので、頑張ってるやんと言って別れました。

思えば彼は小さいころから超悪ガキで、中学のときからタバコを吸い、他校の生徒と喧嘩ばかりしてどうしょうもない奴でした。地元のヤンキー高校に行ったものの途中退場、親は思い余って、当時の松下電器商学院(現、松下幸之助商学院)に押し込みました。あとで聞いたのですがそこでは、1年間全寮制、知識や技術の学びと共に人間力を高める人づくりを重視した徳育・知育・体育の三位一体教育を行っている学校で(ウィキペディアより)、特に古典の素読を毎日続けているそうです。例えば、古典中の古典である、論語と開巻第一のウンチクです。

(原文) 子曰、学而時習レ之、不二亦説一乎。有レ朋自二遠方一来、不二亦楽一乎。人不レ知而不レ慍、不二亦君子一乎

これを渋沢栄一翁の講義を参考にして要約すると、大きく3つに分けることができます
その一、「師の教えてくれたことを学び、いつも繰り返して自分の身につける。なんと喜ばしいことだろう。」
・習ったことが身に沁み意識せずに体が動く状態、知識と実践を一致させた「知行合一」を実現することはとても喜ばしいことだ、やり方よりも実践が大事である。

その二、「志を同じくする友が遠路をいとわずにたずねてくる。なんと楽しいことではないか。」
・志を同じくする友人と切磋琢磨し、友人に学んだことを伝えたり、それを友人が他の人に伝えたりして多数の人に良い影響を与えればこれは楽しむべきことである。

その三、「人から認められなくても、そんなことは少しも苦にしない。これこそ本当の君子ではないか」
・自分が出来る事を徹底してやっていれば、それが他人に知られず世間に受け入れられようがいられまいが、まったく気にせず不満を抱いたり、腹を立てないように自分の境遇を楽しむそれこそが君子ではないか。


長くなって申し訳ありません。結果、松下幸之助商学院で学んだ1年後の彼は、親があまりの良き変貌ぶりに腰を抜かしたそうです。いまでは地元の人のために頑張る、人気抜群の有名人になっています。やはり人は古典と歴史、偉人を学ばねばならないことを、彼に会って再認識、痛感いたしました。

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